- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

GUTIC _paranoiac paradigm
パラノイアック パラダイム

 > INFORMATION

 > INSTALLATION

  STATEMENT

>> Viewing Movie(Youtube)

 

ギャラリー・ステートメント

世界は既にこの形態で存在していたのだろうか、そして人間は今あるように出来上がっていたのだろうか。これ以外に有り様はなかったのか。彼の疑問は此処から始まった。そして、次のセリフが彼の口から発せられる。

「世界の現実とは、今、この瞬間において、すべての『別の状態であった可能性』を排除した唯一のまごうことなき事実であると共に、たまたま脱落を免れただけの一つの結果にすぎないともいえる。」

この時から表現者としての彼は”神”となる。そして彼のタブローには世界の現実から脱落した多くの民が出現する。彼の体内から生み出された民は「モナド」として、生々しさをもって存在し始める。しかし、そこには彼等の生態を覗き見る窓がない。推し量れるのはUWAGAKIという彼の技法と丹念に描きこまれた「突起」と「割れ目」だけであり、その猥雑性とユーモアが観る者を惹きつけ、否応なく包み込んでゆく。それは「出来事としての絵画」の出発であり、彼らの一瞬の姿態が我々の失われた時間を想起させ、突起らしきものが、これから駆動する空間も予兆させる。それはきっとどこかで見た海の底の生き物か、宇宙船でこの世の果てまで行った時にみる風景のことかもしれない。我々の魂の底は現実と想像が綯い交ぜになっているにちがいない。

「精神は薄暗く、精神の底は闇に包まれている。そしてこの闇に包まれた本性こそが身体の理由であり、身体を要請するのである。」(ジル・ドゥルーズ)

その民たちが彼の体内で生産され、包み込まれていたものが表出されたとき、今度は彼自身がそこに包み込まれてしまう。そして我々自身、この圧倒的な壮観さに如何なる解釈をも受け付けない彼のparanoiac paradigmに納得する。

2kw gallery

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -