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借家Website byTakayoshi Arima
特集〜不定期版


【旅の記録 5】 << Prev  back >>

大座法師池の青く静かな水面にカルガモの群れが、筋を引いていた。そこはダイダラボッチ(大座法師)という巨人の足跡に水がたまっというような云われもあるそうだ。

大座法師池の後、バスは、しばらく林道を走り続けた。そして戸隠に入った。その時私は大きく感動したようである。

さて、僕は当時同じバスに乗り合わせていた、普段着のおばさんと子供たちに興味がわく。彼らは今どこにいるのか?健在か?などと考えるのは、とてもはるばるして良い気持ちだ。
彼らの動向を追うのは不可能だが、住んでいたかも知れない変哲のない街の横顔を探ることは可能である。


【閑話休題】
使っているパソコンの深部(古代層)から下記のような文章を発掘した。一応作者不詳だが、おそらくこのサイトの大家の文章だと推察できる(しかも絵付き)。結構良い文章なので、無断で申し訳ないが掲載する。

 彼らは突如として、ぼくの前に姿をあらわした。

 そのかたちは、ふりかえってみれば、実はすでにぼくが手がけたあらゆる作品の中に、チラチラと姿をあらわしていたことにも気がついた。絵画やタブローはかくあるべしといった方法論や、ニューペインティングへのコンプレックスがその表出を妨げていたのだが、ある時、非常に端的な言葉が確信に変わったのをキッカケに、ぼくはそれらの呪縛から解き放たれ、それまでより自由に制作ができるようになった。そして、幼いころ、油粘土を持てば憑かれたようにカメばかり作っていたことや、耳の肉に刻まれた溝を、小人が穴の中に降りていくための迷路だと思い込んで指でなぞっていたこと、猫のアキレス腱をコリコリとつまむのが大好きだったことなどを十何年ぶりかに思い出し、その性癖がなんとなく理解できたような気がした。

 グチック人類は、心にではなく、ぼくらの身体性のなかに棲んでいるもうひとつの世界の住人だ。彼らは、ぼくという個人、あなたという個人が、その身体を伴って生きている謎を知っている。特殊なことではなく、当たり前のようにそこに居るような存在であり、ぼくはその姿を忠実になぞってゆくことに終始する。美しさやバランスに興味はない。本当のかたちをさがすだけだ。個々のフォルムの相違は、例えば電車の同じ車両に乗りあわせた人々の顔がそれぞれに違うようなものだ。きれいな人もいれば、そうでない人もいる。頭の良い人、良くない人もいる。しかしだれもが同じ重さで、存在することを許されている。個人の思惑をこえて、そこには存在することへの絶対的な肯定がある。

 何もつくらず、在るべきものを、ただ真摯に、偽りなく存在させること…
 その行為によってのみ、ぼくははじめて誠実になれるような気がする。



©T.A

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