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借家Website byTakayoshi Arima
特集〜不定期版


【旅の記録 4】 << Prev  back >>

〜旅の覚書〜

昭和60年7月26日、戸隠バードラインの終端の地付山が大崩落し26名の方々が犠牲となった。

私が1度目に戸隠を訪れたのが、中学校の修学旅行で昭和62年2月あたり。修学旅行地変更の是非が校内でささやかれていたようである。

続いて今回の紀行文は、昭和63年8月の訪問が下敷きになっている。その時もバードラインは不通で、路線バスは付近の険しい県道へ迂回していた。

さらに翌平成元年6月あたり、高校の合宿で再々度訪れることになった。しかしまだ復旧しておらず、県道も通行できない観光バスは、北東方向に遠回りし飯綱山方面経由で戸隠へアプローチした。

つまり戸隠は、長い間長野と最短で結ばれた主要幹線を失っていたことになる。

参考に、当時から激しく変貌を遂げた長野へのアクセスルートの変遷を簡単にたどってみる。

1988年、長野自動車道岡谷IC〜豊科IC開通により中央自動車道と接続し、関東・東海・関西から白馬山麓が高速道路で直結することとなった。

さらに長野方面へ高速道路は伸び、1993年全線開通し、県内の主要拠点は高速道路で結ばれることとなった。

長野オリンピック開催に合わせて、長野新幹線が開通し、関東からのアクセスが、碓井峠越えの消滅により、劇的に短縮化されることとなった。



©T.A
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